A2級ボートレーサーの小羽正作選手が2月に引退!悲願の初優勝果たせず…

A2級ボートレーサーの小羽正作選手が2月に引退!悲願の初優勝果たせず…

2023年2月16日、競艇選手(ボートレーサー)の小羽正作選手が30年に渡るボートレーサー人生に幕を引き引退したことがわかった。 長きに渡って活躍してきたA2級選手の小羽正作選手は、通算47回の優出経験と実力もあった選手だった。

ついぞ初優勝を手にすることは出来なかったが、ボートレーサーとしてしっかりと走りきったのは確かだ。

2月16日、A2ボートレーサーの小羽正作選手が引退

ボートレース

今年2023年2月16日、福岡支部の小羽正作選手がボートレーサーを引退してしまった。 もう既に選手検索には出ないようになってしまっていたので、選手情報の確認はもう出来ないようだ。

小羽正作選手は47回に渡る優出経験がありながらも優勝していない選手としても知られていた。 最後のレースはボートレースとこなめにて開催された一般戦、レースは優勝経験がない選手のみの出場となるレース「日本空調システム杯〜めざせ!初優勝〜」で、小羽正作選手は優勝戦まで出場したが、残念ながら結果は6着で終わってしまった。

また該当レースが終わった後にはGⅢレースの斡旋が控えていたので、そちらでお目に掛かることが出来なかったのが非常に残念である。

また本人は引退に対して「29年間の選手生活では大した成績も残していないけど、自分としては大満足のレーサー人生でした。これからは家庭のために頑張ります」と残したみたいだ。 2023年が始まってまだ約3ヶ月だが、引退選手が多くて少し残念に思ってしまうな。

またこのニュースと一緒に小羽正作選手がどのような選手であったのか等エピソードと一緒に少し触れさせていただく。

小羽正作選手以外に2023年に引退した選手

  • 山口俊英元選手
  • 新地雅洋元選手
  • 中村格元選手
  • 二宮博貴元選手
  • 福田慶尚元選手
  • 窪田好弘元選手
  • 岩谷 真元選手
  • 野澤大二元選手
  • 吉田隆義元選手
  • 長溝一生元選手
  • 鈴木幸夫元選手
  • 前本泰和元選手

ちなみにではあるが、現時点では小羽正作選手を含めて13人の選手が引退を果たしている。 選手の層は常々変化するものではあるが、こうして実際に選手が引退していくと少しさみしいものを感じてしまうな。

  • 小羽正作選手の引退届提出日は2023年2月16日
  • 既に選手情報は削除済み
  • 最後のレースは「日本空調システム杯〜めざせ!初優勝〜」だった

最後が初優勝を冠するレースだったのもなにか思うところがあったのでしょうか

その胸中は我々には推し量れないが、本人が大満足と言えるのならば良かった

小羽正作選手とはどんな選手だったのか

今回引退する運びになった小羽正作選手、今後は家族の為に頑張るとのこと
  • 登録番号:3683
  • 生年月日:1973-12-24
  • 身長:164cm
  • 体重:52kg
  • 血液型:A
  • 支部:福岡
  • 出身地:熊本県
  • 登録期:73
  • 級別:A2

今回引退となった小羽正作選手は、73期として1993年11月にデビューをした選手だ。 優出の回数は47回、勝率に関しても5点台後半をもっていた選手で、A2級としてはしっかりと実力を持った選手であったことは確かだろう。 走り方としては、派手というよりは堅実に走る選手で、応援している方も多かったのではないだろうか?

小羽正作選手のこれまで

 history

そんな小羽正作選手がボートレーサーになったのは、父親の影響が大きかったという。 小羽正作選手の父は同じくボートレーサーであった「小羽作」さん、14期の選手である。

とはいえ小羽作さんが活躍していた時代は今のようにネットがあった時代ではない、イマドキ良く聞く幼少期から良くレースを見ていたという事はなく、小羽正作選手としては引退のレースをビデオで見ただけとのこと。

そして小羽正作選手に転機が訪れたのは高校卒業の時期だった。 小羽正作選手は高校を卒業したら働かないと、と考えた際に自然と父と同じボートレーサーになれたらいいなと思い試験を受けた事でボートレーサーとしての人生が始まったようだ。 父である小羽作さんの引退した直後に無事ボートレーサーになることが出来たそうだ。

父親である小羽作さんは、小羽正作選手がデビューした際には「良かったね、がんばれよ」という言葉と叩いたプロペラを用意してくれていたそうだ。 父親として、自分の息子が同じ職業についてくれたというのは嬉しい事だったのかもしれないな。

現在は既に亡くなってしまっている小羽作さんだが、小羽正作選手は父が亡くなられてからは仕事に行く前に手を合わせていたみたいだ。

そうして父親からバトンを受け取ってデビューをした小羽正作選手だったが、しばらくの間は成績に伸び悩む事も多かったというが、同期である森林太選手の助けなどを借りて乗り越えてきたみたいだ。

森林太選手いわく、小羽正作選手は「絵に描けないくらいいいヤツ」とのことだった。

  • 小羽正作選手のデビューは1993年11月
  • 小羽正作選手の父は同じくボートレーサーであった小羽作さん

人柄が良い選手だったからか、周りからもしっかりと愛されていたのだろうな

約30年に渡るボートレーサー人生に幕を引いた小羽正作選手、お疲れ様でした

海

何度も優勝を果たす選手もいる一方で、小羽正作選手のように優勝を逃す選手もいる。 やはり勝負の世界はそう簡単なものではないということなのだろう。

それでも折れることなく30年以上にわたって走りきった小羽正作選手には尊敬の念を禁じえない。 改めて小羽正作選手、お疲れ様でした。

このニュースの概要をまとめて、終わりたいと思う。

  • 小羽正作選手は30年間にわたって活躍し続けてきた選手
  • ついぞ優勝こそ達成できなかったが、それでも実力はしっかりとある選手だった

小羽選手…お疲れ様でした

まだ49歳とのことなので、これからも元気に過ごされて欲しい

LdarS-ing
LdarS-ing
元々は特殊等別界隈の悪と戦っていました。
ある時友人に「競艇予想サイトに騙された」と泣きつかれた事をきっかけに競艇への介入を決定。
昔とった杵柄で、人を騙そうとする動きには敏感。
特撮とかヒーロ映画が好きです。

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